フロックコートと明治と大正のサラリーマンの仕事着の関係は?

明治大正のサラリーマンは何を着て仕事に行ったか


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一般的にサラリーマンの制服と言うか背広は相場が決まってますが明治時代は何を着て仕事に行ったのでしょうか背広は一般的に普及したのは明治中期のよりも後のことです

明治の初期のサラリーマンはフロックコートを着ていましたが

フロックコートとは・・・
19世紀中頃から20世紀初頭にかけて使用された昼間の男性用礼装である。
黒色のものが正式とされ、フロックコートとシャツ、ベスト、ズボン、ネクタイで一揃いになった。その後モーニングコートに取って代わられ、現在では前合わせがシングルのものも多く見られるようになり、結婚式で使われるくらいになった。

フロックコートは着用していたのは政府に直結した会社や教師などに限られていたそうです

フロックコートは現在でも男子の昼用の礼服として残っています

当時の欧米ではフロックコートが普段着で、その改良型として背広もあったのですが

まだ一般的的には普及してなかった為、日本もそれに習ったそうです。

背広が初めて登場したのはイギリスでヴィクトリア王朝時代中期にランジジャケットと呼ばれました。

これがアメリカに伝わりアメリカではこれをサックコートと呼び

日本では「長まんてる」背広を

「半まんてる」
てると呼んでました。

まんてるとは、マントとの事です。

その後

西洋で背広が普及し始めるに、従って日本も一般普及して行きました。

しかし日本ではビジネス着として用いられるようになったのは

大正時代に入ってからの事です。

そして

その頃からやっと日本人の洋装化が進み始めたのです。

ちなみに背広の名前の由来ですが、背中に縫い目が3本あるフロックコートと違って

背広は縫い目が一本で布地の幅が広いことから、そう呼ばれるようになったそうです 。


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